私の生みたくない気持ちと、それに自信が持てない理由について
私は、今回の人生で子供を生むか/生まないか を悩んでいます。
※ 持つか/持たないかとはすこし違います。
ほんとうは「生まない」優勢なのですが、その選択に自信が持てず不安になります。
なので、その気持ちを書いておきたいと思う。
先に、「生まない」選択に自信が持てないのは主に以下の理由から
- 子供を生むと皆から祝福されるから、私がずれているんだと思う。もしこの”ずれ”が治せるものなら治したい。
- 毎日夫とふたりで過ごせて楽しい。もし、家族の人数が増えたら、もっと楽しいのかな?と想像する。
- 夫のことが好きなので、その遺伝子が入った子供はかわいいかもしれない。会ってみたい。
それでも「生まない」優勢になってしまう理由について整理してみたところ、今のところおもに以下の3つにまとまりました。
一方的な行為だから、とても慎重になる
やはり、もし子供のほうから「生んでほしい」と言われたら、とても気が楽です。
こちらの都合で一方的に生むなら、幸せにしないと/せめて生まれてきてよかったと感じてもらわないといけないと思いますが、その自信は本当にないです。
親子はうまくいかなくても、上司・部下や夫婦みたいには関係解消できません。
一番つらいのは、私がいい母親になれないとき、子供は「今月いっぱいで終わりで。今までありがとうございました。」とはできなくて、私に愛されようと頑張ってしまうだろうところです。
誰かにその思いや経験をさせてしまうリスクを、取ることができません。
自分が誰かを「妊娠する」「生む」ということに嫌悪感がある
これはどうしてなのか、自分が誰かを妊娠したり出産している状況を想像するとめちゃくちゃ気持ち悪い。
子孫繁栄の本能があるならこの現象は不思議だから、少し興味があります。
病院に行ったら治療できる種類の感情なのかな?
人間を増やすことに罪悪感がある
日々過ごしている中で、「動物(や自然)が人間のせいでしんどい」という情報がたくさん耳に入ってきます。
山に居場所がなくなってしまったクマが、町に降りてきて銃で撃たれたこと。お散歩に行くことも撫でられることもなく交尾だけをずっとさせられるトイプードルがいること。動物園の狭い檻の中で、トラがずっとぐるぐる同じところを回っていたこと。精肉する場所でブタは悲鳴を上げることを知っているのに、私はご飯を捨てることがあること。
まだまだたくさんありますが、こういう情報や映像が頭にこびりついて離れません。
人間が悪者だと知っているのに、なぜ増やすの?